アングラな魚日記

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zoom RSS 夏の終わりに

<<   作成日時 : 2008/09/01 23:42   >>

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今年の短いお盆休みには、ジーさんとバーさんがいる一関で過ごした。山間部に僅かばかりの平地があり、その中を穏やかに小川が流れ、岩魚がいて、ヤマメがいて、アブラハヤがいて、トンボがいて、ゲンジボタルがいる。そんな田舎である。周りを取り囲む山々からは、一滴一滴タツタツと、湧き出たしずくが水となって山谷を下り、やがて川となる寸前の場所に、ジーさんとバーさんが住んでる。

 

8月は雨降りや曇りの日が多く、毎日ジトジト、時に激しく降る長雨のせいで、「川になる寸前の流れ」は、立派な河川へと成長していた。今年の夏、その河川で平泉から来ていた中学に上がったばかりの甥っ子と釣りをする事になった。

 

甥っ子は家の近所の沼で、ミミズなどを使った餌釣りを時々しているんだという。もやしっ子だとばかり思っていたが、大きなコイやブラックバスなどと格闘した武勇伝を聞くと、ほほ〜っと唸りたくなる。このぐらいの魚をネ・・・と両手を広げるところは、なかなかどうして、もう既にいっぱしの釣り人である。

 

しかしルアーは初体験だという。で、「釣り人と釣りの話をするときには両手を縛っておけ。」というロシアの名格言を教え、餌釣りは云々、ルアーは云々、一番大切なことは、魚に悟られないよう渓に滲みこむ事などと偉そうに説教しながら釣りをした。^^

 

そんな小さな太公望に30cm程のヤマメがかかった。が・・・すぐバレた。ヤマメは針がかりすると体を回転させて針を外そうと必死の抵抗をするのだ。今回はヤマメの勝ち。甥っ子はルアー初体験で大きなヤマメをバラシ、ヤマメの塩焼きの夢を失ったが、その後、アブラハヤに遊んでもらえた。^^楽しそうだったな。

 

食事は、ジーさんバーさんの作った野菜や米が中心だった。ここのご飯はおいしい。バーさんが申し訳なさそうに食卓に乗せた、やや大きくなったキュウリや、皮が硬くなってしまった茄子などでこしらえた料理も、うまかった。そしてなんと言っても水がうまい。ここらの山は石灰質であり、その山で磨かれ鍛えられた水で育った米や野菜である。うまいわけだわサ。

 

うまい米や野菜を作るコツは、「植えたあと、水を時々与えるだけ。」だと、ぶっきらぼうにバーさんは言う。一切の余剰と力を節約し何の苦労なく自然が作り出したものであると思ってもらいたいのか、いたって謙虚である。しかしその一言は、長年の迷いと錯誤を経て行き着いた縁辺で得た修練の野菜たちを、その苦労を感じさせずに美味しく食べてもらいたいという配慮から出た言葉であり、やさしさである。その苦労と配慮を感じ、食卓に並んだ野菜たちや山盛りのご飯に圧倒され、もはや脱帽するしか無いのだけれど、配慮には配慮で、シンプルな言葉にはシンプルに、ググーと鳴る我が腹の正直を見習い、大きな声で、「いただきま〜す」とたいらげる。これが自然に対する感謝であり、作ったジーさんバーさんの喜ぶ言葉でもあると、オラは思うわけだ。

 

しかし、嗜好品となると話は別になる。ここの水で淹れたお茶は、なぜか旨みが足りず渋味も足りないのである。玉露であれ、リプトンであれ、ネスカフェであれ、なぜか一味足りない。淹れ方を変え、容器を変え、お茶を変え、さまざま試してみたがなかなかいい味にはならず、一度も満足した事は無いとバーさんはいう。野菜や米にはあれほどの滋味と感嘆を与える水なのに、嗜好品である茶はダメ。水のうまさに茶がことごとく負けるのである。

 

最初、一関の山間部のおいしい水と気仙沼の水の違いに気付いたのは女房だった。気仙沼に来て始めてすすったお茶の味でわかったのだという。その後、たまたま、同じお茶(葬儀のお返し)を両家で分けてそれぞれの家で飲んだときに、気仙沼で淹れたお茶の方ががオイシイとはっきりと認識したようである。気仙沼で普段飲んでいるお茶がオイシイといわれるのは単純に嬉しいのだけれど、同時に水によってこれほど大きな違いが出るということに気付かされ、眼からウロコがバラバラと落ちた。三陸沿岸の豊かさを実感しながらも、無意識に享受しそれを当たり前だと思っていたからである。

 

気仙沼の水は、硬いと言われている。雑味とミネラルを多く含んだ硬い水は、一般的にお茶には合わないとされているけれど、こんなエピソードが在るのだから一概にそうとばかりは言えないようである。

 

海岸線から森が広がり山となる三陸では、海のエキスをたっぷり抱いた濃密でベタベタする海風(海霧やヤマセや波しぶきなど)が、海洋ミネラルを森に山に運び、再び海に返すサイクルがある。海霧やヤマセはともかく、波しぶきはそれほどでもないだろうと思うかもしれないけど、アメリカでは空中高く舞い上がった波しぶきが大陸の真ん中にまで飛び、その広大な国土の中央部に流れる河川に含まれる塩分のうち、海由来の塩分が半分を占めるというのであるから、たかが波しぶきなどと馬鹿にはできないのである。

 

三陸は多くの魚が集まる「豊穣の海」と人は口を揃えて言うけれど、「豊穣の山」があってこその、豊かさなのだ。海だけを区切ってはいけないし、山だけを区切ってもいけない。

 

と、若輩者は思うわけだ。

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