アングラな魚日記

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zoom RSS 例えば、薄田泣菫のように

<<   作成日時 : 2008/09/13 00:01   >>

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夏になると、何か涼しいものを求めたくなる。自分もそうだから、おそらくこのブログを読む人も暑苦しい文章より、短く清涼で簡潔な文章の方がよろしかろう〜と思い、今年の夏、ブログの書き方を「です・ます調」から「である調」へ変えてみた。ところが、これが思ったほど簡単ではなかった。

 

オラが普段何気なく使っている言語のベースは気仙沼弁。気仙沼弁で物事を言い、気仙沼弁で思考する。なのだけれど、仙台暮らしが長かったため、ちょっと仙台訛りが残ってるのよ。つまり、仙台訛りの気仙沼弁である。それに近隣の一関や気仙地方の言葉が混じるんだな。一日中、朝起きてから夜眠るまで、眠れば寝言までもが、訛る。おそらく、みんなもそうだろう、訛りの中で生きているはずである。

 

で、こういう人間がブログを書くと、どうなるのか。考えんつも、わがるすぺ? つまり、気仙沼弁で思考した「んだ・だっちゃ調」の文章を標準語に直し、書いていたのである。で、その標準語をブログにする際に、「です・ます調」に変換してたのっさ。これを、「である調」にするには、普通は、「んだ・だっちゃ調」の文章を「である調」に変えればいいだけなのに、「んだ・だっちゃ調」→「です・ます調」ルートがすっかり身に付き、癖になってしまってた。これが、かな〜り重かった。

 

なので、ブログ記事を「です・ます調」で書くために、「んだ・だっちゃ調」を「です・ます調」に直したものを、さらに「である調」に再変換しながら書くという、遠回りをしてしまったわけ。アホである。オラはまず、これを直す事から始めたの。

 

あと、「である調」で書くとき気をつけたいのが、書き方によってはとても偉そうな文章になってしまう事。ま、ソレは自分のブログだからいいかと開き直ったとしても、やっぱり出来上がった文章を読み返してみると、なんとも摩訶不思議な文章が出来上がってたりして、書いては消し、書いては消しして、何とか人目にさらしてもいいかと思われる所で投稿する。で、翌日読み返してみるとやっぱりオカシイゾとなるわけ。しかしもう既に沢山の人に読まれて、後の祭りなんだな。で、しばらく気が付かない振りをしつつ、実はこっそり直したりしてます。文章家でも新聞記者でもない魚屋が書いてるということで、そのへんご勘弁を。

 

四苦八苦しながら夏が過ぎ、ようやく、今の書き方に慣れてきたような気がする。神経の線がつながったのか、それとも脳のしわが一本浅く刻まれたのか、ま、とにかく進歩があった。しばらくこのまま、子供の作文の延長上にあるような、たどたどしい拙文を「である調」に乗せて、書いて行こうかなと思ってる。

 

さて、「である調」でなんとか文を書くことができるようになった。で、次に来るのは、やはり野望である。変換を繰り返したやぼったい表現を磨き、2つを1つに、1つを2つにと算数のような言葉選びをしつつも、伝えたい事をしっかり伝え、しかも涼しげに、かつ読み応えがあって読んだ後には残暑すら感じないような文章を書く。これが野望なのだけど、この頭では殆んど不可能に近いのではないかい・・・と思いつつ。

 

例えば、薄田泣菫のように書きたい。この人は、大阪毎日新聞のコラムを文字どうり毎日、難なくさらっと書いたであろう今で言うブロガーの鏡のような人である。彼の文章には、無限の世界観の中に俗があり、華があり時代がある。かつて、そんな彼の「茶話」というコラムを読みたいがために、多くの人たちが新聞を求めたというのも頷けるのではないか。

 

◇薄田泣菫 『艸木虫魚』より抜粋

秋が来た


また秋がやって来た。
空を見よ。澄みきった桔梗色の美しさ。一雨さっと降り上った後の初夏の青磁色の空の新鮮さもさることながら、大空そのものの底の知られない深さと透明さとは、この頃ならでは仰ぎ見るべくもない。私は建詰った市街の屋根と屋根との間から、ふと紫色の空を見つけて、
「おう、秋だ。」
と思わずそこに立停ったことがよくある。何という清澄さであろう。すぐれた哲人の観心の生涯を他にしては、この世でまたと見られない味である。桔梗色に澄み切ったままでもよいが、ときおり白雲の一つ二つが、掠めたように静かに行き過ぎるのも悪くはない。哲人が観心の生涯にも、どうかすると追懐のちぎれ雲が影を落さないものとも限らない。雲はやがて行き過ぎて、いつの間にかその姿を消してしまう。残るものは桔梗色の深い清澄さそのものである。偶に雲の代りに小鳥の影が矢のように空を横切る事がある。陶工柿右衛門の眼は、すばしこくこれを捉えて、その大皿の円窓に、こうした小鳥の可愛らしい姿を描き残している。

 

今の時代に、これほどまでの文章を書ける人はなかなか見当たらない。オラの「薄田泣菫のように書きたい」という野望は多分かなわないだろう。秋の夜長、薄田泣菫のコラムを読んでクスッと笑うぐらいで、我慢しよっと。

 

我が家では、朝の出勤直前に新聞が投げ込まれる。慌しい中で、先ず最初に読むのがコラムだ。コラムには泣菫の書いたような俗があり、今があると思うんだ。記事は見出しに目を走らせ、ほぼ終了。基本的に社説は読まない。社説は世論誘導を目的にした官僚が書いている場合があって、読むだけ無駄、時間の無駄である。

 

先日、河北新報のコラムにドキッとしたので紹介したい。まるでオラの気持ちを代弁してくれているようで、うれしいのだ。やはり、新聞は1にコラム、2にコラム、3も4も5も、コラムだっちゃね。

 

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【河北春秋】2008/9/8
地球温暖化防止の切り札の一つ、新エネルギー。「国内でも風力発電開発などが進み 高水準にあると思ったら、見当違いだった。世界の潮流から完全に落ちこぼれている らしい▼国連環境計画によると、二〇〇七年の世界の新エネルギーヘの投資総額は約 十五兆六千億円。日本は約千二百七十億円で1lに満たない。中国でさえ日本の約九 倍。インドにも水をあけられている▼国の導入目標が決定的に低い。欧州連合(E U)主要十五カ国は二〇年に全電力の20l、中国15lでを新エネルギーで賄う目標 を掲げる。日本の目標は一四年で1.64l。電力会社も導入に消極的だ▼温暖化対策の 原発への依存度が高いことも背景にある。新エネ先進国ドイツでは脱原発が進んでい る。発電効率は良くとも安全性に問題を残す原発は過渡期のエネルギーという″常識 〃は日本では通用しない▼世界のエネルギーの大半は風力発電で賄えるとの研究もある。騒音や鳥が風車に巻き込まれる被害などはあるが、技術的な課題は日本がこだわ る高速増殖炉よりはるかに小さいはずだ▼国内には原発三十基分に相当する地熱エネルギー資源があるとされる。地形や気候を生かした小規模水力発電も有望。発想を変え落ちこばれ状態を脱しない限り、温暖化対策を唱えても説得力に欠ける。

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
「です・ます調」から「である調」へ変ったなんて、ぜ〜んぜん気づかなかったです・・のである。
まあ、それくらいmakoさんの書く文章は自然というか違和感がないということであるよ。
少なくともそこいらの下手な新聞記者よりは、ずっと文章上手いと思いますけどね。

今日汚染米不正転売の記事に使う新聞記事を物色してて、一番簡潔にポイントを押えた記事が河北新報だったので、これを引用しました。(社説でしたが・・・)
河北新報って、そちらではポピュラーな新聞なんですかね?
金太郎飴のような御用全国紙よりも一部の地方紙のほうが、ジャーナリスト魂のようなものが幾分残ってるような気がします。
電気猫
2008/09/14 23:44
ども、電気猫さん
文章というものは難しいですね。頭の中に漠然とあるものを具象化させるだけなのに、その手法がごまんとあって。

違和感を消すと、別なところに違和感が浮き上がってくるし、なかなか満足できる文章にはなりません。

私も、河北新報は地元の情報が豊富で、読み応えのある記事も多く、いい新聞だと思います。

ヨミウリとかサンケイは、読むけれどお金は払いたくない新聞です。読むとムカムカしてくるんですよ。
mako@管理人
2008/09/17 00:53

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